様々な占法の誤り



『世の99%の占法は偽物』

ここでは世の中に出回っている様々な「占い(占法)」が実は「全くの根拠が無い、原理が無い、原理が間違っている」という事を説明しようと思います。

其仙流は数千年掛けてその時代、その時代の占法も当然、研究します、「原理、原則の確認、原理、原則の有無、歴史的根拠、運勢的作用」など多岐に渡り、その占法の実用性を研究するのです。

其仙流の「占い教室」の授業の中に於いて「他占法の過誤」というテキストの中で様々な占法の誤り、間違いを指摘して、門下生に正しい占法の在り方を説いています。

そんな占法の中でもここでは代表的な占法「スピリチュアル」と「九星気学」の実際に問題点や実践では通用しない理由などを説明しようと思います。

大変、強く他占法を否定していますので、中にはある種の「アレルギー反応」を示す方もいるかもしれませんが、出来れば最後までお付き合いして頂ければ如何に「誤った占法」かを理解出来るものと自負しております。


他占法の過誤 其の一 スピリチュアル


『スピリチュアルの問題点 其の一』

「スピリチュアル」は今ではもうすっかりと市民権を得た占法です、ですが実に様々な問題点を抱えており、実践では全く通用しないものです。

平成の時代に成功した占法の代表格と言えるでしょう、その背景には「テレビ番組」の影響がある事は外せません。

又、スピリチュアリストの中には「スピリチュアルは占いではありません」と主張する人もいますが、「運勢を語る」「テレビ番組などで占い師と紹介されている」「ネット占いでスピリチュアルが存在している」などがありますので、ここでは「スピリチュアル=占いを含むもの」と取り扱っています。

「スピリチュアル」の創始者が誰なのか・・・これは非常に特定がし難く、各国、各地域で「スピリチュアリズム」が様々な宗教観や精神性、神秘性、神秘学や神智学に離合集散されつつ、それぞれの地域や国で変化、成長した考え方と言えるでしょう、実際日本のスピリチュアルとアメリカやイギリスのスピリチュアルではその内容が全く違います。

又、「スピリチュアル」の発祥の地と言われるイギリスでは市民権は得ていません、「スピリチュアリスト」が社会的に大いに受け入れられ、認められている・・・という訳ではないんです。

よく日本の「スピリチュアリスト」の方で「イギリスでは病院の中にスピリチュアル治療科が普通にあります」とか「大学で研究がされています」とか言われますが、全くのデタラメです。

これは、個人病院のクリニックの先生が個人的にスピリチュアルを好んで研究しているという事であって、イギリスの社会が病院の中にスピリチュアル治療科などというものを受け入れているという事ではありません。

又、イギリスでは「スピリチュアル学校というものがあります」という主張する人もいますが、これは「個人的なスピリチュアル教室の事」で、公的機関としてその様なものが存在している事では無いのです、例えば日本でも「お料理教室」はありますが、それと「料理の専門学校」とは違う事と同じです。 


『問題点 其の二』

そもそも日本に於いて「スピリチュアルの定義がなされていません」、スピリチュアルとは一体何なのか?が非常に漠然と曖昧な説明で、しかも「スピリチュアリスト」によって全く主張が違って来ます。

何人かの有名なスピリチュアリストの共通する主張を取り上げてみたら・・・

①霊界、死者からのメッセージを受け取る役目がスピリチュアリストにはある

②この世に生まれるとは、「前世からの課題(カルマ)を消化する為に生まれる」

③スピリチュアリストには魂の救済の役割がある

・・・とあります。

どれも非常に根拠が無い事ばかりです、これらの問題点をここでは取り上げてみようと思います。

『霊界、死者からのメッセージを受け取る役目がスピリチュアリストにはある』

はい、いきなりど真ん中の問題点です、多くのスピリチュアリスト(以後スピリストと表記します)が共通する主張は「スピリストは死者や霊界、神、天使からのメッセージを受け取る事が出来る」と言われますが、実際には有り得ない事です。

先ずこの主張が正しいとするならば「霊界が存在する、神や天使が実在する」これが大前提となります、次いで問題となるのは「スピリストは霊界や死者からのメッセージを受け取る事が役目」とする所です。

この様な「システムや理がこの世のいつ、生まれたのか?」世界中の宗教やオカルト霊感の類を知っているわけではありませんが、過去の文献を見ても「霊界や死者からのメッセージを受け取る人達が存在する」などという記述や伝承又は歴史的資料を見聞きした事がありません。

そもそも「死者が何故、縁も所縁も無いスピリストにメッセージを届けなければいけないのか?」普通に考えたら、死者が何か縁のある人に死後にメッセージを伝えたかったら「本人に直接伝えるはずです」これが常識的で自然な考え方のはずです。

これは間違いなく「スピリストの存在意義を求めた結果生じた人為的思想」としか思えません。

『この世に生を受けるとは前世からの課題を消化する為である』

これも多くのスピリストが口にする主張です、ここで最大の問題点は「そもそも、生まれ変わりとは何であるか」という一定の定義がされていない事が非常に問題点なんです。

スピリストの言う「生まれ変わりとは何が生まれ変わる事」というのでしょうか・・・?

①記憶が受け継がれる事?

②本人の人格がそのまま生まれ変わる事?

③本人の命が生まれ変わる事?

この様に「生まれ変わりの定義」が幾つか存在するのです、ですがスピリチュアルは「生まれ変わりの定義を策定していません」

①の「記憶が受け継がれる」のなら、そもそも前世の本人では無いので、前世の課題を消化す
 る事に矛盾が生じます。

②の「本人の人格がそのまま生まれ変わる」のなら、そもそも何故「前世の記憶が無いのか」
 非常に矛盾が出て来ます、前世の課題を消化する為の生まれ変わりなら、前世の記憶を
  って生まれて来る方が自然なはずです。

③の「本人の命が生まれ変わる」のなら、前世の行いや記憶と命がどう直接関係するというの
でしょうか?前世の行いの問題が命に何らかの影響があるという根拠が存在しない。

又、別の問題点では「生まれ変わる数の問題」があります。

1802年の世界人口は10億人と言われています、又1927年では20億人と言われています、現在の世界人口は79億人です。

1927年は今から94年前です、94年前には20億人の人口が94年後の現在では79億人です、その開きは59億人です、この59億人の前世はいつだというのでしょうか?

このやり方で遡って行くと、「生まれ変わりの始まりがいつからだった」のかという疑問も出て来ます、又、「生まれ変わりは人類だけに起こるのか」それとも地球上の生命体全てに起こり得るのか?

仮に地球上の生命体全てに生まれ変わりがあるとするなら、「異種間での生まれ変わりがあるのか」それとも「同種間での生まれ変わりしかない」のかなどという問題が出て来るのです。

前世占いの人やスピリストなどにこの質問をぶつけてみると「命は人間だけではありません、故に生まれ変わりも人間から人間とは限らないのです、人間から馬や虎になるものもいれば、犬や木々から人間になるものもいるのです」

という主張をする前世占い師やスピリストもいますが、では「前世が木々の人の課題をどうやって人間体の現世で消化するというのでしょうか」非常に不都合極まりない上に強い疑念が生じます。

又、ある有名なスピリストは自身の著書の中で「我々スピリストが過去生を霊視して、前世が貴族や医者だった」というと「読者さんから、農夫とか使用人などという、身分の低い人があまり出て来ないのは何故ですか?」という質問をされますが、「我々スピリストが観る前世の姿は「霊性が高い」時の姿が見えるのです・・・という、もはやここまで来ると詭弁でもなくただの子供の言い訳でしかありません。

貴族や医者の霊性が何故高いと言えるのか?農夫や使用人でも霊性が高い人もいるはずですが・・・そもそも「霊性」とは一体何でしょうか?全く分かりません。

更に生まれ変わりの理由が「過去生の行いの反省」にあるなら、それを自覚できないと反省になりません、こも大きな問題点です、人は幼い頃から親や学校の先生、周囲の大人から「怒られる時」に「何をやったかを自覚させられます」それは「自分が行った行為が間違いである、周囲に迷惑を与えた行為である」という認識をさせる為です、その上で反省を促すのです。

多くのスピリストがやっている事は「あなたの過去生の行いが良い悪い」の説明はしますが、当の本人はその過去生の記憶が無いまま話しが進みます、この行為に本質的意味があるのでしょうか?

本人に「覚えが無い事を反省しなさい」と言われても、どうしようもありません、全くの無意味、無価値と言わざるを得ません。

『問題点 其の三  現実的に役立たない』

スピリチュアルが最も問題を抱えているのは「現実的問題を現実的に解決できない」事に集約されます。

相談者が現実的問題、例えば職場での人間関係に問題を抱えているとして、その様な相談者が来ると、「前世の行いに問題があります」と言われても、「どうすれば良いのか」をアドバイス出来てこその占い師です、それが出来ないという事は、医者で例えたら、「診断はするが治療はしない」というヤブ医者と同じです。

仮にいくら問題の原因が過去生にあったと追及出来たとしても、現実的にどう対応すれば良いのかを言えないのがスピリチュアルの「ボロが出た」という部分です。

・「相手の方にも問題はありますが、貴方も我を通しているようなので、先ずは貴方の方がもっと素直を養うべきです」

・「今は、忍耐を養う時です、確かに理不尽な事ではありますが、これも人生勉強、人生修行と思って今は忍耐力を磨いて下さい」

・「これは、もうどうしようも様も無い状態です、このままだと被害が拡大する様なので転職か部署替えを考えるべきです」

などの指南をする事が重要となります、「占い」とは「これから如何にすべきか、如何に生きるべきか」を指南する事が重要です、当流、其仙流でも「これからどうするが全てである」と先人達から口伝で伝わっています。

「いくら過去を観たとしても、いくら過去をほじくり返した所で、いくら過去を振り返った所で意味は全くありません」、現世に於いて反省するという意味で過去を振り返るなら問題はありませんが、一頻り反省し終えたら、生きる為に前を向かなければいけません。

ましてやそれが「過去生」の問題点となると・・・あまりに現実的でない上に現実から解離、遊離し過ぎというものです。


【まとめ】

これで「スピリチュアル」の問題点を全て説明出来たわけではありません、この他にもまだまだ沢山「スピリチュアル」には問題点、疑念点が存在します。

いくら「美しく優しい語りで、又神秘的で魅惑的な態度で接して来ても」現実的に解決をする又はその手掛かりを示す事が出来ない占い師はスピリストに限らず、意味も無ければ、腕もありません、その様な占い師は恐らくは高確率で偽物です。

そもそも「スピリチュアル」というものが歴史上出て来たのは、ここ200年もありません、日本に於いては30年も経っていません。

「スピリストが霊界からのメッセージを受け取るという世のシステムが存在する」なら「古来より世界中でその痕跡があるはず」それが様々な資料や文献を探っても見つからないのです、それは当然です、スピリチュアル自体が「人が人為的に生み出した概念に過ぎないから」です。

ある全国的に有名なスピリストが年末に翌年がどの様な年になるのか霊界からのメッセージを受け取るのだそうです、それをネットや動画で公表するのですが、「2019年の霊界からのメッセージ」は「2020年は破綻と崩壊」が「キーワード」ですとおっしゃっていました。

それを暗示していたのか、その年の年末はそれ程の驚異に思わなかった「新型コロナウィルス」の問題が翌年そうそうから深刻な問題に発展し、世界中が対応に追われる事となりました。

これを、翌年の自身の動画で「はい、私が受け取った霊界からのメッセージは何でしたか?」と自慢げに同席していた人に呼びかけ「破綻と崩壊です」と同席していた人も答えました。

そして、このスピリストはこう続けました「私は、メッセージを受け取っただけです、何が起こるかは分かりません」と「メッセージ」がたまたま、当たった事を良い事に「具体性の無い」事を棚に上げる始末です、「霊界や神からのメッセージを受け取る」なら「具体的でないと意味、価値は無い」のではないでしょうか?

因みに今年(2022年)のキーワードは「亀裂」だそうです・・・。

抽象的で漠然と曖昧なキーワードを謳った所で「それが何の意味があるのか?」これでスピリチュアルがあまりに稚拙なものか少しはお分かり頂けたと思います。

この様なものを信じる、支持する多くの人は恐らくは・・・

「夢みる夢子ちゃんな思考を幼い頃からする性癖がある」

「現実を生きる力に致命的脆弱性がある」

「発達障害や精神疾患を患っている」

などが考えられます、「現実を生きるに、現実的問題を突破するに、困難を乗り越えるに」必要な事は「メルヘンでもファンタジー」でもなく「本人の努力と学び、成長」のみです、それを指南する事が「本物の占い師」の務めなのです。 


他占法の過誤 其の二 九星気学


九星気学は日本ではスピリチュアルよりも以前から存在している占法で大いに市民権を得ています。

創始者は園田真次郎先生で、1924年(大正13年)に九星気学を創始されました。

園田先生は1876年、明治9年に出生、1961年、昭和36年没、江戸時代の松浦琴鶴氏の方鑑学の流派の一つ「九星方鑑学」を参考に九星術を「気学」として簡略化してまとめ、日本で市民権を得て行く事となる。

九星気学は一般に皆さんあまり知られていない節がありますが、「気学宗家、法道会」と「気学宗家 直門 気学館」と二大流派が存在します。 

「法道会」は宗家であり園田先生の血縁者が継承しており、初代園田真次郎先生、初代の三男で二世前沢一光(かずあき)氏 二世の三男で三世前沢公勇(きみたけ?)氏が現在当主です。

「直門 気学館」は気学の指導者を育てる会「六人会(嫡男 前沢彰作(しょうさく?)氏を含める)」のメンバーであった松永勝氏が初代から免許皆伝を頂き「気学館」を名乗る事となる、二代目に妻の松永宣子(よしこ)氏、三代目に松永安生(あんじょう?)氏が現在当主です。

スピリチュアルと同じでこの「九星気学」を占いと取るかは、難しい側面もありますが、「運勢を説く、九星占いなるものが存在する、相性占いをする」などがあるので、これも「九星気学=占いを含む」とここではさせて頂きます。

 「九星」はそもそも「方位学」で使用するもので「相性を占う」などは本場中国ではしません。 

この「九星気学」もスピリチュアルと一緒で全くの誤りだらけで原理もメチャクチャ、実践では通用しない占法と言えます。

日本では現在でも大いに市民権を得ている占法で、「何を疑う余地があるのか?」と言われてしまいそうですが、過ちだらけの占法です。 

『原理に致命的問題あり』

 初代の園田先生が書かれた「気学大全集」全37巻という書物があります、これは後に二世の前沢氏と共著という形で再版され「気学と幸運」「気学新解」という二冊に編纂され直したものが存在します、これは気学の聖典的書物ですがこの中に、気学の原理、原則の致命的にして根本的間違いが載っています。

【原文】気学と幸運 101ページから102ページにかけて 

社会の出来事は一白、二黒、三碧・・・という九星の星属と連鎖関係があって、その年に発生する災禍と九星とは必ず共通した繋がりを持っているのです。

例えば、三十年の九紫火星の年には新潟の大火が発生したとか、中山脳病院が魔火にあったとか、九十九名も焼死者を出すような聖母寮の悪火が発生するというように、又二十九年一白水星の年には水に因んで洞爺丸(とうやまる)の惨事を皮切りに、相模湖では中学生の犠牲者を出したり、放射能で鮪が食えなくなって寿司屋、魚屋が大恐慌を蒙るなどというように、水星の年には水難が、火星の年には火難が発生して、その年の星性と災禍性質とが一致しているのです。・・・・

 徹底的に調べました所、園田先生の根拠を否定せざるを得ない結果となりました。 

昭和29年一白水星の年は確かに全国的に有名な水難事故や一見して水にまつわる事故事件がありますが、同じく全国的に有名な火難事故も存在しています、昭和29年、9月26日、北海道の岩内町で発生した岩内大火は町の七割を焼き尽くし多くの被害者を出しています、又同じ昭和29年、12月3日、三重県四日市市で大協石油製油所の重油タンクから出火、負傷者22名を出しています。 

そして昭和30年九紫火星の年にも確かに有名な火難事故事件は発生していますが水難事故事件も発生しています、昭和30年、7月28日、三重県津市で発生した橋北中学校水難事件では36名が溺死しており、又同年の5月11日には香川県の「紫雲丸」が瀬戸内海を航行中に岡山県宇野港発の国鉄貨物船「第3宇高丸」と衝突沈没、修学旅行生を含めた168名の犠牲者が出ています。

この事実を故園田氏や気学宗家 法同会や気学宗家直門 気学館はどの様に釈明するというのでしょうか?

著書の中で園田先生は「歴史が証明している」と述べていますが、確かに御仁の主張を否定される事を歴史は証明しています。

又その年の九星の星性とその年の災禍の性質が一致するのならば阪神淡路大震災は六白年で、東日本大震災は七赤の年です、その年の九星とその年の災禍の性質が一致するのなら二つの大震災は三碧の年であるはずです、三碧は易でいう所の「震」の卦です。

気学では六白は金星、七赤も金星です「地震」とは全く関係ない性質です、これをどの様に説明し釈明するのでしょうか、甚だ疑問と疑念が生じます。

【まとめ】

この様に「九星気学」には様々な問題点、疑念点が存在します、園田先生の九星に対する造詣の浅さが露呈する結果となっています。

この他にも問題点、疑念点は多々見受けられますがここに上げたものでも「九星気学」を疑う十分な根拠に成り得ます。

「九星気学の本質」を説いた原典に致命的過ち有るのです。

これらを宗家や気学館はどう釈明するのでしょうか?

日本に於いても西洋と同じで一種の「オカルトブーム」というものがありました、明治時代から昭和にかけて何度かに渡り「オカルト霊感」が流行った時期があります、その流行りの後押しもあり見事に市民権を得たのは良いが、情報化が進み本場中国の正しい情報を手にする事が出来る様になった時代では「より本物」を問われるのです。


【総まとめ】

この様に世間では大いに市民権を得ている占法でも誤りや偽物があるのです。

どう信じようとしても「誤りは誤り」で「偽物は偽物」なのです、変え難い真実であります。

「安易な占いなどには飛び付かない」と言いたい所ですが、困った事に「本物の基準」というものが日本でも中国でも現代は存在しない又は確立されていないので(昔は存在していました)、非常に悩み所ではあります。

又、その原理が正しいかを確かめる方法が確立されていない状況です、ですが其仙流には「運勢、氣」を直接的に観る「瞳術」を継承しています、故に「九星気学」やその他の方位学、「スピリチュアル」などの原理的誤りが分かる(観える)のです。

又、ここでの説明でもお分かり頂けると思いますが、「歴史が長いから」とか「伝統があるから」という理由で「本物である」と言う理屈も成り立たないのです、時代の潮流も相まって、又本物を隠す為に偽物を多く流布する行為などが現代にまで強く影響しているのです。

「本物」とは「命懸けの相談、真剣な相談」に通用するものです、又占いとは「現実的問題を現実的に解決する、若しくはその手掛かりを示す事」です。

それが現代の多くの占法や占い師に出来るでしょうか?

 「憧れから入っても構いません」が「憧れで始まり、憧れで終わる」様な占い師では大した事はありません、又は偽物、紛い物の占い師です。

「相談者に真剣に向き合い」問題を解決する手助け、少しでも例え一歩でも前に足を勧める指南をする、僅かでも学び、努力する意味を指南する事に通じる占法が求められるのです。

現在の占い師は「占いごっこ」をしているに過ぎないのです、そろそろ占い業界全体がその事に真正面から向き合い、軌道修正をすべき段階に来ているのではないでしょうか。