現在は様々な「占い」が存在します、しかし、「占いの本質」からは逸脱している占いに溢れ返っている状態です。
多くの占いや占い師の行っている事では「本質的に社会や人の役には立てない」というのが実情です。
そこらの学生やOLなどの恋愛相談なども、本人からしてみれば真剣な悩みです、ですが一方で「経営の相談、政治の相談、命のかかった病気の相談」などと全く同じ扱いで比べるわけには行きません。
現代の多くの占い師が、この様な「真剣な相談、命懸けの相談、覚悟のある相談」などに対応が出来るのでしょうか?
「占い」には幾つかの定義が存在します、先ずは「運勢が観える」かどうか、ここが一番重要な要素です、その主張の真偽は一度横に置くとして「過去生や守護霊、生霊」などを見る事は「占い」とは全く関係ない事です、占い師が一番、大前提となるのは「運勢を観る」事です。
次いで「本質が観える、本質を悟る」事が出来るかです、これは「東洋哲学の学び」が必須となります、「人生を説く、生き方を説く」占い師が「物事の本質が分からない」様ではその腕は高が知れています。
お次は「現実的問題を現実的に解決する、若しくはその手掛かりを示す」これも非常に重きを置かなければいけないものです、ここを「自分勝手、思い込み、空想、妄想」という姿勢で臨むと「やれ生霊だ、やれ前世だ、やれ霊界だの」と口にする様な低俗な占い師になります、相談者は「現実を生きており、その現実の中に生じた問題に対して悩んでいる」のです、故に「現実的に指南する」事が出来ない様では詐欺師と同じです。
次いで「成長を加味した指南をする」です、人は苦しい時や困難な時などはその状況から脱したいのは当然としても、その苦労が「必要な苦労、必要な困難」と言う時があります、それを悟り、安易な指南をせず、「忍耐、努力」などを指南できるかは高い水準を求められます、昨今の占い師に限らずですが、「人を育てる、人の心を育てる」事ができる人が中々いません、人を育てる事ができる人は人として洗練されていると言えます。
そして最後は「真心、素直、真剣」を修練する、「運勢」というものは技術があれば誰でも観えるものです、ですが、その観えた「運勢」をどう解釈するかは別の問題です、正しく本質的に観ようとするなら「真心、素直、真剣」が求められます、この積み重ねの先に「匠で玄妙な指南」が出来るのです。
『占いの役割』
①「運勢が観える」
②「物事の本質を得る、悟る」
③「現実的問題を現実的に解決する」
④「成長を加味した指南」
⑤「真心、素直、真剣」を以って観る
占いはこれら五つの心得を以ってして初めて「本質的に人や社会のお役に立つ」事ができる入り口に立つ事が出来ます。
現代の占いが「本質的に人や社会の役に立っている」のでしょうか?
当流は甚だ疑問と疑念を禁じ得ません、占いは真剣に生きる人にこそ役立てて頂きたいものです。
又、「占いの価値」が「占い師の腕に依存する」と多くの一般の方や同業者が思っている事でしょうが、それは正しい側面もありますが、もう一つ本質的ではありません。
「価値のある占い」とは「相談者が価値ある事を尋ねるか」にあるのです、これが「価値のある占いの本質」です。
「生霊の相談、前世の話し、霊界の話し、神秘、オカルト霊感」などの「在り得ない相談をされても」有り得ないのです、レベルの低い相談をされてももう一つ心に響かない指南になり兼ねないのです。
例えば・・・
相談者:「今年に入って身の回りに不幸が立て続けに起こるんです、年末に引っ越しをしてか
らな気がするんです、地縛霊のせいだと思うんですけど、お祓いをした方が良いん
でしょうか?」・・・
この様な相談も稀にあります、この様な「オカルト霊感」を信じている人に当流が・・・
当流:「地縛霊などはいませんから、少なくても引っ越しが原因ではありません」
とアドバイスをすると「貴方は目に見えるものしか信じないのですか!」とか「貴方は本当に占い師ですか?」とか逆に「霊の世界は存在するのです、貴方の眼はまだ覚醒していないんですね」と説教される事まであります。
他の例えを言えば・・・
相談者:「上司のモラハラがきつくて転職をするか、会社のコンプライアンス委員
に訴えるか悩んでいるんです、どうすれば良いでしょうか」
と、よくある上司と部下との人間関係の問題です、当流はこの時に、この様なアドバイスをしました。
当流:「確かに貴方からしたら、キツイのでしょうが、これ位は当たり前と受け取
って、自分の打たれ弱さを鍛える機会だとして下さい」と言うと・・・
相談者:「人に上から目線の時点で人としては致命的欠点です、それをさらに堪えて我慢しろ
とは・・・貴方は本当にこちらの気持ちになって考えているんですか!」
現代人によくある忍耐力不足の相談者です、時になだめながら、時にすかしながら、時に厳しく指南を続けて一年程が経ちました・・・。
相談者:「今日来たのは・・・実は係長に昇格しまして、更に大きなプロジェクトのリーダー
にも選ばれて、自分でも驚きで・・・」
当流:「それは良かったですね、貴方の努力が評価されたのでしょう」
相談者:「それが、昇格の理由を部長から聞かされたのですが・・・私が嫌だと言っていた直
の上司の課長の推薦でして、<彼は忍耐力がありとても努力家です>と言われたら
しいんです」
「それを聞いて、この一年自分は一体何を甘えた事を言っていたのか・・・恥ずかし
くて・・」
と言う事でした。
最初の「オカルト霊感を信じる相談者」も次の「忍耐力不足」の相談者も大きな意味で言えば「生きる力不足」の人と言えます、この様な人の特徴としては「自分の視野の狭さ、物事の本質が分からない、自分の世界観が正しい、自分は優れている、自分の価値観が正しい」とする所謂「小さい器の人」です。
この「小さい器の人」は「価値ある質問、価値ある相談」を中々しない傾向があり、こちらが本質を説いたり、価値ある指南をしてもそれを価値あるアドバイスと受け取らなかったり、拒否したりします。
「器が小さい」から「オカルト霊界や神秘思想に走ったり」「自分勝手な言い分を良し」とする未熟な人間のままいるのです。
「自分の欲しい言葉だけを貰いに来た」のであれば、それは人生を本質的に生きていない人の考えです、占いの本来の役割や底力とは「人や社会に本質的に役に立つ」事だと其仙流では定義しています。
一口に「占いの役割」と言っても様々ありますが、現代の様な「スピリチュアル、神秘思想、オカルト霊感、前世」などのお遊びの延長ではありません。
一言で言えば先にも言いました通り「人や社会に本質的に役に立つ」です。
詳しく述べれば以下の様になります。
「真剣に生きる人に真剣に応える」
「人生に迷っている人に道を示す」
「物事の本質を説く」
「忍耐、努力、知恵、学びを説く」
「謙虚、感謝、素直を説く」
確かに占いには「神秘的側面、心霊的な側面」などが全く無いわけではありませんが、それは本質では無く占いの一部です。
車で言えば「ドアミラー」は確かに車の一部ですが、本質は「エンジン」のはずです、車は「ドアミラー」が無くても走りますが、「エンジン」が無ければ走りません、故に「車の本質はエンジン」だと言えるのです。
この様に「物事には必ず本質」というものがあります、それを弁えながら、理解しながら運勢というものを観て言葉にして行く事が占いの基本です、「人生を迷わせる様な占い、在りもしない存在を助長させる占い、嘘を吐く占い」などは「人や社会の害になる占い」です。