『味音痴では美味なるものは分からない』
占いを多くの人が「いつ何が起こる」つまり「いつどんな現象が起こるか」を知るものだという、いわゆる「当てもの」だと思い込んでいます。
それは全くの根本的誤りです、未来は一切定まっていませんので、「当てた所で当て続ける事は不可能」です、従って占いとは決して「当てもの」ではないのです。
では何も当てなくても良いのか?・・・それも違います。
占いとは「本質を当てなければいけない」のです。
そもそも占いとは「人生を説く、生き方を個人に合わせ説く、道を開くに何が必要かを説く、成長、学びを説く」などです、では「当てた」所で「成長が出来るのでしょうか?」「道を開く事が出来るのでしょうか?」・・・当てた所で無意味だという事がお分かり頂けると思います。
相談者から様々な悩みを尋ねられます、そこに一定の指南を示す、手掛かりを示すには・・・
「その人の本質を見抜かなければいけません」
「問題の本質を悟らなければいけません」
「物事の本質を得る事が出来なければいけません」
つまり「本質を悟る」事が指南業、占い業にはかなり重要なのです、「本質」とは「それが無いと、存在し得ない要素の事」です。
又、現代人の多くがいわゆる「味オンチ」な状態になっているとも言えます。
現代人の多くが「コンビニ弁当、レトルト、カップ麺、インスタント食品、ファーストフード、スイーツ、スナック菓子」など「添加物にまみれた濃い味」の食品しか口にしていない事がその理由です。
食べ物の本来の味は「深く繊細で奥ゆかしい味」です、薄味だがしっかりと深い味わいが出来る食べ物を食べたとしても、現代人の多くが薄味の食べ物の価値が分からないでしょう。
実は「占い」もこれと同じ事が言えるのです、本来「占い」とは「繊細で上品、玄妙で奥ゆかしい」ものです、例えば「占い」は「人知を超える」側面があります、それを手前勝手に自分の価値観に合わせて判断しようとする所が「味オンチ」と言えます。
又、違う例えをするなら骨董品の主が跡取りに目利きを教える時には「本物」から教えます、「偽物」から教えると「本物」をその後に教えても分からなくなるそうです、占いも「偽物」から覚えてしまったり、「偽物」を「本物」より先に知ってしまったら、「本物」が現れてもそれを判断する基準が「偽物基準」で成り立っているのですから、「本物」かどうかの真偽は付きません。
幼い子供にチョコレートを当たり前のように与える親が多々いますが、その様な事をすると「濃い味」しか覚えられなくなり、食べ物の本来の味が分かる舌に育たないのです。
この様に多くの現代人は「味オンチ」の状態なのです、本当のお米の味や本当の食材の味を正しく理解できる舌を持っていないのです。
その上で「本物の占い、偽物の占い」を判断しようとするのですから、その基準が本人の価値基準に寄る所が非常に大きいわけです。
夜を彩るオーロラを見ても、沈みゆく夕日を見ても、眩い朝日を見ても、心が洗われる清流を見ても、緑深い山を見ても正しく高い感性を持った人は「美しい」と感じるはずです。
これと同じで「美味」なるものは不変的に「美味」なのです、それを「カップ麺」と比べたり、「ハンバーガー」と比べたりする・・・そもそもが比べようもないものを無理やりに自分の尺度に合わせて判断する・・・
これで正しく本質的な判断が付くわけもありません、現代は「本物が偽物呼ばわり」されかねない時代です、「神秘的で不思議で意味深な事」「前世や霊との因縁」「生霊、怨霊」「宇宙人、異次元人」「スピリチュアル、ヒーリング」・・・「本物」はこの様な事を口にはしません。
「現実的な悩みや問題を現実的に解決する、若しくはその手掛かりを示す」又これらの事を「人生を説きながら、生き方を説きながら、学びや成長を説きながら」指南する事が「占いの本質」なのです
これで上手く又全てを説明出来たわけではありませんが、何となく多くの現代占いと本物とに違いがある事が伝われば幸いです、「占いの価値」は「占い師に因る所」もありますが、そもそもは「相談者側」が「価値ある事を尋ねるか」にあります。
「霊界や生霊、前世、生まれ変わり、呪い、地縛霊、神秘論、スピリチュアル」などの相談をされてもそもそもが存在しない、人が生み出した人為的な概念を「在る」という前提で来られても「価値のある指南」は難しいものです。
「真剣に生きる、本気で生きる、覚悟を以って生きる」人の相談は既に「良い答えが含まれた相談」をして来ますので、当然「価値の高い指南」が出来るのです。
例えば右も左もどうしようもなく困っている人が占いに人生や己の全てを懸けても良いと思える占いに出合った事があるかという事と、その様な重く命懸けの相談を又こちらも覚悟を以って指南できるかが問われるのです。
「占いは遊びでは無い」のです、真剣に生きる人の確かな人生の杖となる存在なのです。
そろそろ、この辺で占い業界の洗濯をしなければ占いの本質的価値や意義、存在が危うくなります 、実践に通用しない占いをいくら歴史が長いからとか、伝統があるからと言っても意味は無く、市民権を得た占いであろうが、「本物の基準」を知らない以上は本物足り得ないのです。
「人を救い得る、人生を救い得る、運勢を救い得る」希少な学問がこのまま地に埋もれ滅びて行くにはあまりに勿体無い・・・もう一度この辺りで「本物とは」を感情論抜きで考え直さなければいけない時代に来ていると感じます。