運の働き



「運」は信じようが信じまいが存在するものです、「運」を意識しながら生きて行くも、「運」を信じない、意識しない生き方も人の自由です。

ですが、本質的な生き方・・・その上での充実した人生を求めるならば、「運」と言うものを意識した生き方が望ましいでしょう。

ですが「運」と言っても実は「運」に幾つかの種類が存在します。

「宿命」=生まれ落ちた時のどの親から生まれる、どの血筋の家に生まれるやどの様な環境
 に生まれるかという事で本人の努力や意思では変え様が無い運の事です。生まれ落ちた後に
 は「宿命」は一切生じません、又「宿命」は幼い頃に影響を受ける運の事で、成人をしたら
 殆どその影響は無くなる又はその影響力が直接的では無く間接的に変化します。

2「運命」=これは「後天的宿命」と言えば良いでしょうか、其仙流では「生まれ落ちた後に
 本人の選択により生じた又は本人の生き方によって生じた変え難い運」を「運命」と定義
 しており「運命」は「本人の意思や努力で変える事ができる領域が僅かですが存在します、
 これが「宿命」と「運命」との最大の違いです。

「運勢」=「運の勢い」と書いて「運勢」です、これは「運の流れ」の事で「本人の学びや
 知恵、努力に因って良くも悪くも変化する領域」の事で、人の運の大部分を担っているもの
 でもあります、故に其仙流が最も重きを置く運がこの「運勢」となります。


単純に言えば、「運」は生まれた時に授かる変え難い、抗い様が無い「運」と本人の努力如何によっては良くも悪くも変化する「運」が存在します。

又、他にも「運を生み出す」事も出来ます、これを「造化運」と呼びます。

どの様な困難でも苦労でも突破する為に知恵を絞り、時に忍耐をし、時に気力と根性で乗り越える・・・そして新たな見地を得て知恵を絞る・・・これの繰り返しの先に有り得ないと思われていた事を達成する事もあります。

これを「造化運」と呼び、其仙流が指南の中に度々「造化の指南」を入れてのアドバイスに重きを置いています。

この「運勢と造化運」を巧みに観て指南をする・・・これが其仙流の一つの真骨頂と言えます。

「生温く生きる、自分勝手、独善的、傲慢、未熟な人生観」などを振りかざす人などから、「日々を何気に生きている人」、「一生懸命に生きている人」皆、「どう生きるかに全ては掛かっています」

「良い運を得たいなら、それに見合う努力をするしか」ありません、「手を抜き温い人生や周囲に迷惑や不快感を与える様な生き方」をする様ならば、当然大した運は得られません。

でも、一番重要な事は・・・

「運は生み出す事も出来る」

「運は強くする事も出来る」

「運は呼び込む事も出来る」

という事です。

ここに軸をしっかりと置いて指南をする事が重要と言えるでしょう。

その為に「物事の本質を悟る学び、運勢を観る確かな占法、占いに本質的な姿勢で臨む」事が求められます。

「運」を漠然と捉えても、それ以上の何かが起こる事はあり得ません、変化を望むなら自らが行動するしか無いのです、努力した分だけ自分に返って来るわけではありませんが、それならば尚の事、努力し成長を成さなければいけないのではないでしょうか。

人は「学びの歩、進化の歩」を止めた時点で後退を始めます、「今日を生きる炎を今日の分だけ燃やしても駄目なのです、今日の内から少しでも明日を生きる炎を燃やさなければ本当の意味で明日を生きる事は出来ません」

純粋に燃える・・・それが見た目でも分かる通りにメラメラ燃える様でも、人知れず静かに燃える様でもどちらでも良いのです、大事な事は「運を生み出すには熱量」が求められるという事です。


人生を「運」のみに頼る事は出来ませんが、「学びと努力、謙虚と感謝と素直、真剣さと熱量」そしてそこに「運」の支えがある人生は小さくとも充実して、豊かな時間が流れます。

「運」の作用や働きは「良い悪い」の二極論ではなく「匠で玄妙」です、「悪い運」も「良い運」を呼び込む為に生じる事もあります。

故に人知を超える働きがあり、一般人や素人が安易に「吉運、凶運」を語る事はあまり望ましくはありません、一喜一憂する事無く、運を大事に大切にする・・・それは人との縁や巡り合わせによる出来事を大事にする事に通じます。

苦労の中に於いても小さな楽しみ、僅かな幸せを見出し、それを拠り所として、少しずつ前に進む・・・そこにこそ運は玄妙な働きをするのです。 


又、「運」は人の「器」とも密接に関係しています、「人の器」とは、その人の「人格の完成度」とでも言えば良いでしょうか。

「物事の本質を悟る」事を目指しつつ「東洋哲学」を深く学び、物事の道理を得る事ができる人間へと成長して行くと自然に「人の器」は大きく丈夫に成長します。

この人の器は「100の器」には「100の運」が入り、「500の器」には「500の運」が入ります。

でも多くの人は「30の器に100の運を求めたり」「40の器に300の運を求めたり」します。

では、こうなると「運」はどの様に作用し始めるかと言えば、「器を大きくする為の働き」が生じます。

「30の器で100の運」を求めるなら、「運」が器を100の大きさにする様に作用し始めます、小さいものが大きいものに成長する、弱いものを強くするには当然「磨き鍛錬」します、つまり「試練」と言う形で訪れます、いわゆる「苦労、困難」です、これを多くの人が「不幸や不運」と取ります、これがそもそもの誤りなのです。

苦労から逃げる、嫌な事から逃げる、困難を避ける・・・これではいつまで経っても成功するわけはありません、故にここに一言指南できる者が求められるのです、それが我々指南者、占い師という事です。

「器」を大きく丈夫にするには、途方もない努力と時間が掛かります、現代人は若くして成功したいと多くの者が思っていますが、人格はそう簡単には養う事は出来ません、養い形にするには数年、十数年、場合により数十年かかります。

真の成功とは「発想や知識だけ」では絶対的に無理なのです、そこに「人格に裏打ちされた心」が無ければ到底成せるものではありません、「発想、知識に心が備わったもの」が「知恵」と言うものです、「高い水準」の「知情意、真善美」と言い換える事もできるでしょう。

「運」は誰しもにほぼ平等に訪れます、問題はその訪れたチャンスに「準備が間に合っているか」が高い水準で問われるのです、又、「程度の低い人にはそれに見合う運」が「高貴で高潔な人にはそれに見合う運」が巡って来ます。

「運や器」にも「大きさ、丈夫さ」と「質」が問われるという事です。

あまりに「質」を度外視する様な生き方には玄妙な「運」はやって来ません。

一定は「大きさ、丈夫さ」を求めたら、次は「質」を考える段階が来るのです、その段階に来ても「大きさ、丈夫さ」を求める事は「貪り」に通じる可能性があるので、場合により自重が求められます。

故に人は「品性」を養う事が重要なのです、「わきまえ、謙虚、感謝、思い計る、配慮」などを深く養って行くと次第に「品性」を養う事になります。

泥で出来た食器、木製の食器、プラスティックの食器、水を飲むのに食器の材料は問う事は無いのかもしれませんが、これが例えば「ビール、ワイン、清水、清酒」ならどうでしょうか、器の材質を考えたくなるはずです。

人にも「質」があるのです、その「質」を高める「生き方や学び」を目指して行くと自然と「質の高い運がやって来るもの」です。