其仙流の歴史 其の三



1其仙流の伝承者は時代の陰に身を潜めるかの様に秘伝を守りながらも研
 究研鑽を重ねて行きました、そうする事に数千年、有名無名な賢人や仙
 人を輩出しながらも時代を重ねて行きます、一つの例を上げるとするな
 ら、有名な其仙流の伝承者の中には「張果仙人(ちょうかせんにん)」
 も存在します。

大衆化してしまい、価値の無いお遊びの占いが蔓延る占い業界を通し世俗を見て、それを嫌い世捨て人の様な生き方をする先人達が占い業界を嘆きつつも、「今は下手に動かぬが肝心」と、腹を据え研究に勤(いそ)しんでいる者がここにもいました。

唐の時代(西暦618年~907年)の「張果老子(ちょうかろうし)」その人です、「東遊記」の「八仙人」と言えば分かる人もいるのではないでしょうか?

春秋戦国時代から現代までの其仙流の伝承者の多くは細々と指南業を生業としながらも運勢学や方位学、結法(ゆいほう、現代で言う所の開運商品)などの研究を深めていました。

「張果老子」もそんな一人であります、「張果老子」は其仙流第81代目伝承者で当時の唐の時代には「占い師、指南者、仙人、道士、方士」を自称する者の中に「手品師、奇術師」の様な者が現れ人々を騙す行為が出て来ており、時の九代皇帝「玄宗皇帝」も宮中に噂の自称仙人達を呼び付けては、その奇跡を見せる様に命じた逸話が沢山あります。

開元22年(西暦734年)玄宗皇帝は「張果老子」を通事舎人(一種の使者)を使って迎えようとしたが、それを断り里に帰ります、この時のやり取りに幾つかの伝説や伝承がありますが、実際は「張果老子」は長い事、世俗から離れて暮らしていたので、占い業界がどの様な状況になっているかを確かめる為に通事舎人の言葉に随い出仕します。

ですが、都には本物や本物に準ずる占い師、指南者は見る影もなく、皆一様にデタラメな指南や説、論を口にする、「偽物ばかり」の現状に落胆したそうです。

玄宗皇帝は「張果老子」を何度も試し、最後は迎えようとしますが・・・

「占うを知らずに、占いを口にする輩が海水と淡水の弁えを持たずに居る様です、淡水と海水は馴染めるものではありません」と言って断ったそうです。

2唐の時代より時は過ぎ、五代の時代(西暦907年~960年)に「麻衣仙人」という
 其仙流第111代目伝承者がいました「麻衣仙人」は「相学」では今も有名な仙人で
 すが、その他にも「方位学、瞳術、運勢の研究」などを行っていました、「麻衣仙
 人」の功績は「運勢がどの様な状態で存在しているか」を一定解き明かした所にあ
 ります。

先ず「未来」は「何一つ定まっていない」という事は先人達の研究で分かっていました、そして「未来」とは「本人の若しくは本人と本人を取り巻く環境の影響を受けつつも、選択の連続である」と定義しており、その上で、では「未来」とはどの様に在るのか、という研究を「麻衣仙人」は行っていました。

その甲斐あって「未来」は「未選択」の状態では「光り」の形で存在すると発見したのです、ここで言う所の「光り」は「宗教的、あるいは神秘的、精神的な意味合いの光り」ではなくて「現実的な光り」の事で主に「太陽光」を指します、違う言い方をすれば「氣」あるいは科学的に言えば「電磁波」と言えます、この研究結果を基に「麻衣仙人」は瞳術に於いて大きな成果を出しました、それが「無相」というものです。 

一般に「無相」の存在を知る手掛かりは現代では江戸時代中期の人相家で「南北相法」の創始者である「水野南北」先生の「著書」の「修身録」の中に於いて「無相」の言葉が出て来ます。

「南北先生」の「南北相法」は「麻衣仙人」の弟子と言われる「希夷仙人(きいせんにん)」の著した「神相全編」を学んだ事にあります、その「神相全編」の中に「無相」の言葉が出て来ます。

この様に、現代では「無相」を知るには「南北相法」か「神相全編」を知る事が一般的で、後は韓国や台湾、中国などの観光地や書店で売られている「麻衣神相法」の書物から知る以外にはないでしょう。

ですが、多くの人が「無相」を「相術」と取っていますがそれは誤りです、確かに相術での使用も可能ですが、「無相」の最も威力を発揮するのは「瞳術」に用いた時です。

多くの占い師、人相家が「相学で有名な麻衣仙人の生み出された無相なるものはきっと相術に違いない」と思い違いをしていますが、間違いです、其仙流の口伝でも「麻衣仙人」も「無相」は「瞳術」として開発したものであると伝わっています。

※因みに「麻衣仙人」の弟子と言われる「希夷仙人」という仙人がいますが、これは全くの間
 違いです、麻衣仙人は希夷仙人を弟子と扱っておらず、秘伝を授からない「教え子の一人」
 という立場です。

当時、今から約1100年前に「麻衣仙人」は世間と距離を取り、崋山の石室で世捨て人の様にしながら隠遁生活を送り、様々な研究を重ねていました、そして「希夷仙人」は巷で有名であり、更にその腕を磨こうと崋山の麻衣仙人に教えを乞いに入山します。

当時の「相学界」は「有形派」と「無形派」とに分かれており、圧倒的に「有形派」が支持されている状況でした、「有形派」とは「鼻の形、目の形、輪郭、手のしわ」など所謂「部位の形」を求める一派の事で、「無形派」とは「形に成る前の段階を察する事」で「氣色、神氣、空気感」などを重視する一派です、「其仙流」は「無形派」ですので、少数派でした。

「希夷仙人」も「有形派」であり、「麻衣仙人」はどう教えても「希夷仙人」が「有形」に心を持って行かれる見方に、「相学の本質、無形の神髄、無相の手掛かり」などを半分だけ教え半分は教えずに、それ等の手掛かりに「神異賦(現在は書物として存在しています、当時は口伝という形だったそうです)」という形で「希夷仙人」にそれを渡したそうです。

ですが、「希夷仙人」は結局、「相学の神髄」を「有形」と取る事から抜け出せず、「麻衣神相法」の神髄に辿り着けなかったのです。


3時代は現代にかなり近くなります、其仙流第177代目伝承者、「圭堂老子(け
 いどうろうし)」の時代は明治、大正、昭和となります。

この177代目から其仙流の継承者が日本人となります、何故この様な事になったかと言えば、176代目以前から、其仙流の継承者に相応しい人物がいなくなりつつある事に端を発します。

そこで、先人達は日本を含め周辺国の中から継承者に相応しい人物を探す事を視野に入れます。

こうして当時の伝承者は自国内で継承者を探しつつも他国の者に継承者を求める様になりました、そして明治時代に現在の兵庫県で176代目伝承者の「玄明老子(げんめいろうし)」と後の177代目継承者の「圭堂老子(けいどうろうし)」の運命的出逢いがあったのです。

「圭堂老子」は幼い頃から天賦の才があり、文武両道で「神童」「麒麟児」と呼ばれ、生まれ付きの「千里眼」の使い手だったそうです、そんな「圭堂老子」のエピソードを一つ紹介しましょう。

時代は昭和初期、世界的に暗雲が立ち込める雰囲気(第二次世界大戦)を呈していた時、占いに因る詐欺被害(高島事件など)が政府高官の耳に入る事となります、それまでの「占い」も明治時代や大正時代に何回か国に因る廃止令や許可制度など「廃止論、管理論」などが議論されて来ました、実際明治時代1870年には「陰陽師廃止令」を国が正式に布告しており、1872年には陰陽師は迷信であるとし一般人への流布を禁止する「禁止布告令」が出されています、その後1877年には占い全般を禁止する「占い禁止令」を布告しています。

そんな流れが底流にある時代、日本が戦争に巻き込まれるかもしれないという時に世間では「占いに因る被害」が出て来る事に当時の政治家、政府高官などは「あるまじき事件」と認識しており、これを機に徹底的に九星気学や姓名判断、易、人相、手相など占いを廃止させようと水面下で動きます。

「圭堂老子」のお家はそもそも「平安貴族」の家柄で、その伝手で政府による「占い完全禁止」の動きを耳にしたようです、「これでは本物迄禁止され、滅びかねない」と思い、この政府の動きに待ったをかけるべく水面下で動きます。 

その結果、当時の内務卿と京都のある料理屋で秘密裏に会う段取りを付け、「占いを禁止」する事を取りやめる様に提言します。

その時に当時の内務卿は中々首を縦には振らなかった様で、致し方なく圭堂老子は内務卿の前で「千里眼やその他の其仙流の秘伝の一部」を披露し、その上に其仙流の秘伝の原理を説明し、その秘伝書を内務卿に渡し、「占い禁止令の是非」を問うたそうです。

「内務卿」:「まさか、本物が実在していようとは思わなかった

と驚愕したそうで、その結果、日本から「占いを完全に抹殺する」という動きは取りやめになったのです。

現在、日本で様々な占いが楽しめるのは「圭堂老子」のこの時の働きがあった事は否めません。

そして、時代は更に過ぎ、近代になるに連れ、其仙流の先人達が心配していた通りの状態へと占い業界は落ちぶれます。


『まとめ』

ここ迄、長々と其仙流の歴史をお話しさせてもらいました、これでもほんの一部の事であります。

占い業界が如何に曲がり、濁って来たか又、其仙流の先人達の活躍や憂いを説明出来ていれば良いのですが、如何でしょうか?

其仙流は代々「賢人、方士、仙人」を輩出して来た古流派です、それ故に「何が本物であり」「占いとは何なのか」「指南者とは如何に在るべきか」を言えるのです。

嘘でこの様な事をここまで言える事は出来るわけもありません、全ては先人達より伝わる真実です。

占いとは「社会や人に本質的に役に立ってこそ」です、「有りもしない神秘論、オカルト霊感、スピリチュアル、前世論」などが「本質的に役に立っている」と言えるのでしょうか?

其仙流では占いは「緩やかな滅びの段階に入っている」と見ており、ここで待ったをかけ「大きく軌道修正を掛けねば」占いは滅びるであろうと思っています。

偽者、紛い物が溢れる様になって数千年が経ちました、そろそろこの辺りで「占いの意義を正しく示し」又「正しく理解する」時代になったのではないでしょうか?